青い薔薇のブログ

僕は都立小山台高校1年16才で2015年9月27日にいじめが原因で自殺した。死後都で初めての調査委員会が設置され1年8ヶ月もかかった末に不当な調査結果が出された。遺族は再調査を申し入れ10ヶ月後に都知事の再調査が決まったが未だに再調査は進んでいない。2018年9月の命日の3年の時効を前に遺族は苦渋の最後の決断として都を提訴。僕が生きている際の学校の対応の落ち度、僕の死後の学校の不誠実な対応、都教育委員会が遺族を怒鳴り恫喝したり黒塗り書類を見せるなどの理不尽な行為、調査委員会と委員の問題点、遺族は闘っている

今日5月21日は僕の27歳の誕生日

今日5月21日は僕の27歳の誕生日だ。

僕の命が喪われて10年8ヶ月。

2015年から11年になるのだ・・・

 

君は歌うことと本を読むことが大好きで、

とても優しくて賢くて

誰に対しても思いやりのある心の男の子で

将来人の役に立ちたいと言っていた。

君は大学院を卒業してもう科学者になっている。

君は進路を実現して将来の夢に向かっている。

君は人の役に立つ研究をして多くの人を救っている。

はずだった・・・

君の命が喪われたことはほんとうにもったいないことだ。

まさに未来の損失である。

 

僕は16歳で命を喪ってしまった。

僕は悔しい。

僕は悲しい。

僕はもっと生きていたかった。

僕は決して死にたくなかった。

僕は彼らに追い詰められて命を落とした。

僕の人権と名誉は彼らに奪われた。

僕は無念だ。

 

僕と僕の家族が真に求めているのは、

学校も都教委も、僕の命が喪われた事実を、

自分の子どもの命が喪われたことと思い、

真剣に受け止めてほしいことだ!

自分たちの過ちを認めて、

僕の尊い生命が喪われた事実を、

心から悔やみ、悲しみ、僕に謝ってほしいことだ!

 

僕のことを、高校の生徒も教師もみんな忘れて、

僕の出来事をなかったことにして、

何もなかったかのように日常生活を送っている。

 

でも僕のことを思い出してくれ!!

僕を忘れないでくれ!!

 

僕はもっともっと生きていたかった。

僕は彼らに命も未来も奪われた。

彼らが僕の命と未来を奪ったことを、決して忘れない。

彼らが僕と僕の家族の苦しみ悲しみ怒りを忘れても、

僕と僕の家族は、決して決して忘れない。

 

息子を喪っただけでも地獄の苦しみのように辛いのに、

調査委員会、裁判と、遺族は10年以上ずっと闘い続けてきた。

遺族は今もずっと闘っているのだ。

 

だから僕のことを思っていてほしい!

僕のことを忘れないでほしい

 

何年経っても、

決して

決して

君のことは忘れない!!

 

 

今日5月21日は僕の26歳の誕生日

今日5月21日は僕の26歳の誕生日だ。

僕の命が喪われて9年8ヶ月。

2015年から10年になるのだ・・・

 

 君は歌うことが好きでとても優しくて賢くて、

誰に対しても思いやりのある心の男の子で

将来人の役に立ちたいと言っていた。

君は大学院生になっている、

あるいはもう科学者になっている。

君は進路を実現して将来の夢に向かっている。

君は人の役に立つ研究をして多くの人を救っている。

はずだった・・・

君の命が喪われたことはほんとうにもったいないことだ。

まさに未来の損失である。

 

僕は16歳で命を喪ってしまった。

僕は悔しい。

僕は悲しい。

僕はもっと生きていたかった。

僕は決して死にたくなかった。

僕は彼らに追い詰められて命を落とした。

僕の人権と名誉は彼らに奪われた。

僕は無念だ。

 

僕と僕の家族が真に求めているのは、

学校も都教委も、僕の命が喪われた事実を、

自分の子どもの命が喪われたことと思い、

真剣に受け止めてほしいことだ!

自分たちの過ちを認めて、

僕の尊い生命が喪われた事実を、

心から悔やみ、悲しみ、僕に謝ってほしいことだ!

 

僕のことを、高校の生徒も教師もみんな忘れて、

僕の出来事をなかったことにして、

何もなかったかのように日常生活を送っている。

 

でも僕のことを思い出してくれ!!

僕を忘れないでくれ!!

 

僕はもっともっと生きていたかった。

僕は彼らに命も未来も奪われた。

彼らが僕の命と未来を奪ったことを、決して忘れない。

彼らが僕と僕の家族の苦しみ悲しみ怒りを忘れても、

僕と僕の家族は、決して決して忘れない。

 

遺族が提訴して6年8ヶ月、

2024年1月17日に高裁の判決があり、

遺族は最高裁控訴した。

2025年5月まだ最高裁から連絡はない。

遺族は今もずっと闘っているのだ。

 

だから僕のことを思っていてほしい!

僕のことを忘れないでほしい

 

何年経っても、

決して

決して

君のことは忘れない!!

 

 

 

 

今日5月21日は僕の25歳の誕生日

今日5月21日は僕の25歳の誕生日だ。

僕の命が喪われて8年8ヶ月。

 

 君はとても賢くて優しくて誰に対しても思いやりのある心の男の子で将来人の役に立ちたいと言っていた。

君は大学院生になっている。

君は進路を実現して将来の夢に向かっている。

君は人の役に立つ研究をして多くの人を救っている。

はずだった・・・

君の命が喪われたことはほんとうにもったいないことだ。

まさに未来の損失である。

 

僕は16歳で命を喪ってしまった。

僕は悔しい。

僕は悲しい。

僕はもっと生きていたかった。

僕は決して死にたくなかった。

僕は彼らに追い詰められて命を落とした。

僕の人権と名誉は彼らに奪われた。

僕は無念だ。

 

僕と僕の家族が真に求めているのは、

学校も都教委も、僕の命が喪われた事実を、

自分の子どもの命が喪われたことと思い、

真剣に受け止めてほしいことだ!

自分たちの過ちを認めて、

僕の尊い生命が喪われた事実を、

心から悔やみ、悲しみ、僕に謝ってほしいことだ!

 

僕のことを、高校の生徒も教師もみんな忘れて、

僕の出来事をなかったことにして、

何もなかったかのように日常生活を送っている。

 

でも僕のことを思い出してくれ!!

僕を忘れないでくれ!!

 

僕はもっともっと生きていたかった。

僕は彼らに命も未来も奪われた。

彼らが僕の命と未来を奪ったことを、決して忘れない。

彼らが僕と僕の家族の苦しみ悲しみ怒りを忘れても、

僕と僕の家族は、決して決して忘れない。

 

遺族が提訴して5年8ヶ月、

2024年1月17日に高裁の判決があり、

遺族は最高裁控訴した。

遺族は今もずっと闘っているのだ。

 

だから僕のことを思っていてほしい!

僕のことを忘れないでほしい

 

 

 

僕の命が喪われて8年8ヶ月、長い間闘っている母の想い、渋井哲也さんの記事

2022年7月8日に一審判決があり、遺族は控訴して2024年1月17日に高裁の判決があった。一審判決よりも、二審判決の方が、より息子の精神的苦痛を認める判決であったが賠償責任を認めなかった。遺族は最高裁に控訴している。

スポーツ振興センターにも申請しているが返答はまだない。

 

<母が息子のために長い間闘ってきた理由今も闘っている理由>

 

息子は2015年4月に都立小山台高校に入学し、半年後の9月27日に亡くなりました。

16才でした。

息子は1999年5月21日に生まれました。優しくて賢くて誰に対しても思いやりがあり、歌うこと、本を読むことが大好きな子で、困っている人や不登校の友人を助けたり、同級生に勉強を教えてあげていました。将来、人の役に立つ研究をしたいと小1から科学者を目指していました。国立大学へ行き、大学院まで行くことも決め、希望に溢れて高校に進学しましたが、学校でのいじめが原因で追い詰められて命を喪いました。生きていれば25才になり科学者の道を歩んでいたことでしょう。

 

毎日学校に通い土日にも部活に行っていた息子がなぜ死ななければいけないのか、学校で調査を依頼し、その後東京都で初めての調査委員会を立ち上げてもらい調査しました。

学校での息子に関する書類を、遺族は開示請求しましたが、ほとんどが黒塗りでした。

それからずっと遺族は、東京都教育委員会に開示を求めましたが、見せてくれませんでした。

遺族は、署名を集め提出し、交渉し、文科省に申し入れをして記者会見もし、文科省からも開示するよう指示されたが都教委は開示しなかった。

遺族は都議会議員や国会議員に会いに行き、都教委に指導してもらったがそれでも都教委は開示しなかった。

一方調査委員会の判断は不当な内容だったので、遺族は都知事に再調査をお願いし再調査になっている。

調査委員会の報告書には、「息子への学校の不適切な対応があった」と書いてあったが、学校から説明も謝罪もない。

息子の死後も、学校と都教委から、息子と遺族は誠実な対応はされず、未だに説明も謝罪もされてこなかった。

息子が生きている時の学校の不適切な対応のせいで息子が命を喪ったこと、しかし息子が死んだことを学校は無かったことにしていること、息子に関する書類を親に見せないことつまり親の知る権利を侵害していること、息子の死後の学校と都教委の不誠実な対応など、『息子の人権と名誉の回復と、息子に関する書類の開示を求めて、』息子の死の3年後の2018年9月に都を提訴しました。1審では裁判長が和解を勧めて、被告を説得してくれようとした。しかし被告である都は頑なに決して和解には応じなかった。

提訴して5年8ヶ月、息子の死から8年8ケ月です。

 

毎日学校に行っていた息子が命を落としたのに、学校では息子の死は無かったことにされていました。シンドラーのエレベーターの事故で死んだ野球部の生徒は小山台高校でずっと追悼されているのに、自死した生徒の命は軽んじられています。

学校の先生たちは、息子の死を悔やみ悲しみ、息子に申し訳ないという気持ちが全く見られなかった。

息子が死んだ後の、学校、都教委、調査委員会の対応は、遺族に寄り添ってくれなかった。

 

 

息子が小3の時に父親が亡くなり、それまで天真爛漫でのんびりとした性格だった息子は、母と姉を自分が守らなければと思ったようです。母と姉と3人で力を合わせて何とか生きてきました。小学校卒業の時も中学校卒業の時も、『僕が大きくなってもっとお母ちゃんに楽をさせてあげたい』と息子は母に手紙を書いてくれました。

 

息子はいつも家族を守りたい、家族に楽をさせてあげたい、人の役に立ちたいと話していた。

そんな息子は、決して死にたくはなかったはずだ、息子は訳もなく死ぬはずがない、と思いました。

息子はもっと生きていたかったのです。息子は決して死にたくはなかったのです。

母はずっと、もう話せなくなってしまった息子の代わりに、

死にたくなかった息子の無念の思いを言い続けてきました。

母の発言する言葉は、息子の言葉・息子の思いなのです。

 

学校で息子の死は無かったことにされていたので、息子の人権と名誉の回復のために、

母は24時間365日毎日息子のことを想い、母が息子のためにできることは何か考えて、考えられ得ることはを全て考えて、

母ができることは何でもしようと、でき得る限りの行動をしてきました。

夫も亡くし、息子も亡くし、母と娘の女2人で都立高校、東京都教育員会、調査委員会の巨大な組織を相手に闘って来て、数え切れない位の理不尽な対応をされてきました。

2人の力は無力だと数え切れないほど泣いて、叫びました。

夫と息子の元にいきたいと数え切れないほど思いました。

 

裁判など母の人生で経験したこともなく、法廷で証言もしたことはなかったです。辛く苦しい経験でした。

ほんとうに長い長い道のりでしたが、提訴したことには意味はありました。

裁判をしなかったら、都は、息子に関する書類を隠したままで遺族に見せなかった書類を、決して出してはこなかったでしょう。

裁判したことで、大田原校長、坂田調査委員長、担任、養護教諭と小寺都教育委員会職員の5人の証人尋問を行うことができたし、

裁判の審理の中で証拠によって明らかになった事実は以下(1)~(5)であることが分かりました。

(1)いじめの事実について

 生物班のグループLINEで、息子だけが嫌がる名前をくり返し書き込まれたこと。

3回も授業がある英語の教師に、嫌がる名前をくり返し呼ばれていたこと。

クラスの男子だけのグループLINEに、息子だけが入っていなかったこと。

調査部会の坂田委員長も証人尋問の中でこれらは「いじめ」であると認めており、校長も証人尋問で、本人が嫌がる名前で呼ばれることは呼ばれた人を傷つける行為であると認めているので、これらは「いじめ」であること。

(2)担任のことについて

担任は証人尋問で、97日に母と電話で15分以上も話をしていることを認めている。

母が「息子が学校へ行きたくないと言っているが、学校で何か変わったことはないのか?」と担任に聞いたが、担任は「何もない」と言った。

しかし担任は、息子が、夏休み前にクラスで机を叩いて怒ったことをその場で母に伝えることができたのにしなかった。

しかし担任は、息子が死んだ直後に真っ先に息子の異変を母に知らせた。息子が死んで初めて思い当たる息子の異変を母に知らせたのだ。

母が担任と電話したその日に、息子は遅刻して登校したが、その日に早退もしていた事実を、担任は母に連絡しなかった。

こうした息子の学校での異変を、担任は知っていたのに、息子が死ぬ前に母に伝えていなかった。

死んでから言われても遅すぎるのだ。

生きている時に息子の異変を母に知らせていれば、息子は死ななかったのだ。

(3)保健室のこと

養護教諭は証人尋問で、息子が9月だけで保健室に4回も行っていたこと、養護教諭は早退とカウンセラーへの相談まで勧めていたのに、養護教諭は担任にこのことを伝えて、情報共有をしていなかったことを認めている。

養護教諭は担任と保護者にも情報旧友するべきだったのに怠った。

生きている時に息子の異変を母に知らせていれば、息子は死ななかったのだ。

(4)校長が公文書である生徒のアンケートを破棄したことは、校長も認めている。

(5)東京都教育委員会の小寺が母へ暴言と暴行をしたことを、小寺本人も認めている。

裁判をしなかったら分からなかった事実が出てきました。

地裁、高裁でも判決文では、息子が「学校生活で精神的苦痛を受けていた」事実も認めています。

 

学校は子どもの命を守るべきなのに、担任も養護教諭も怠りました。息子が生きているときに、学校が息子の異変を伝えてくれていたら、息子は決して死ななかったのです。

学校に責任があるのは明らかです。学校は自分たちの過ちを認めて息子が死んだことについて、心から悔やみ、悲しみ、息子に謝ってほしいです。

 

今も自死に追い詰められた子どもたちとその遺族はたくさんいると思います。裁判をしたくてもできなかった遺族、声を上げられずに苦しんでいる遺族もたくさんいると思います。

学校は子どもの命を守る場所です。学校は、子どもの命が喪われてしまったら、なぜ命が喪われたのか、もう喪われることがないように、考え続けてほしいです。

自分の命に代えてもいい存在の子どもを亡くした遺族は、地獄に落とされたような、もう死んでしまいたいと辛くて苦しくて、真っ暗闇の中にいるような思いでいます。学校は、そんな状況にある遺族に、もっと寄り添って遺族の思いを理解しようとしてほしいです。

母は娘と女2人で都立高校、東京都教育委員会、調査委員会という巨大な組織と闘ってきて、数々の理不尽な対応をされてきました。

今後は子どもが自死に追い詰められない世の中になってほしいし、遺族は子どもを亡くしただけでも辛く苦しいのに、子どもの死後までも学校や教育委員会から数々の理不尽な対応をされないような、遺族が苦しまないような世の中になってほしいです。

 

息子のために、母は命を懸けて精一杯出来る限りの事をし尽くしてきたことに悔いはありません。

生まれてきて16年しか生きられなかった息子のために、長い長い闘いをしてきて、今もまだ闘いは続いています。

学校に毎日行っていた生徒が命を落としたのだから、学校は、自分たちに過ちが無かったはずはないのだから、何が悪かったのだろうと考え、自分たちが悪かったこと過ちを認めてほしい。

息子が死んだことを悔やみ悲しみ、息子に申し訳ないと謝ってほしい。

自死した息子の命を軽んじないでほしい。

学校は、死んだ生徒がなぜ死んでしまったのかを、考え続けてほしい。

遺族がどんな思いであるかをもっと寄り添って、理解しようとしてほしい。

死に追い詰められた、息子の尊厳を認めてほしい。

 

 

「勝ち負けよりも、亡くなった息子の名誉のために」 都立名門高の生徒自殺訴訟、最高裁に上告した母親の思い

ジャーナリストの渋井哲也さんが弁護士ドットコムに記事を書いてくれた。

4月1日付でネットに掲載された。

https://www.bengo4.com/c_18/n_17407/

 

 

 

今日5月21日は僕の24歳の誕生日

今日5月21日は僕の24歳の誕生日だ。

僕の命が喪われて7年7ヶ月。

 

 君はとても賢くて優しくて誰に対しても思いやりのある心の男の子で将来人の役に立ちたいと言っていた。

君は大学院生になっている。

君は進路を実現して将来の夢に向かっている。

君は人の役に立つ研究をして多くの人を救っている。

はずだった・・・

君の命が喪われたことはほんとうにもったいないことだ。

まさに未来の損失である。

 

僕は16歳で命を喪ってしまった。

僕は悔しい。

僕は悲しい。

僕はもっと生きていたかった。

僕は決して死にたくなかった。

僕は彼らに追い詰められて命を落とした。

僕の人権と名誉は彼らに奪われた。

僕は無念だ。

 

僕と僕の家族が真に求めているのは、

学校も都教委も、僕の命が喪われた事実を、

自分の子どもの命が喪われたことと思い、

真剣に受け止めてほしいことだ!

自分たちの過ちを認めて、

僕の尊い生命が喪われた事実を、

心から悔やみ、悲しみ、僕に謝ってほしいことだ!

 

僕のことを、高校の生徒も教師もみんな忘れて、

僕の出来事をなかったことにして、

何もなかったかのように日常生活を送っている。

 

でも僕のことを思い出してくれ!!

僕を忘れないでくれ!!

 

僕はもっともっと生きていたかった。

僕は彼らに命も未来も奪われた。

彼らが僕の命と未来を奪ったことを、決して忘れない。

彼らが僕と僕の家族の苦しみ悲しみ怒りを忘れても、

僕と僕の家族は、決して決して忘れない。

 

遺族が提訴して4年、昨年7月に判決があり、控訴した。

遺族は今もずっと闘っているのだ。

だから僕のことを思っていてほしい!

僕のことを忘れないでほしい

 

 

 

 




今日5月21日は僕の23歳の誕生日

今日5月21日は僕の23歳の誕生日だ。

僕の命が喪われて6年7ヶ月。

 

 君はとても賢くて優しくて誰に対しても思いやりのある心の男の子で将来人の役に立ちたいと言っていた。

君は大学院生になっている。

君は進路を実現して将来の夢に向かっている。

君は人の役に立つ研究をして多くの人を救っている。

はずだった・・・

君の命が喪われたことはほんとうにもったいないことだ。

まさに未来の損失である。

 

僕は16歳で命を喪ってしまった。

僕は悔しい。

僕は悲しい。

僕はもっと生きていたかった。

僕は決して死にたくなかった。

僕は彼らに追い詰められて命を落とした。

僕の人権と名誉は彼らに奪われた。

僕は無念だ。

 

僕と僕の家族が真に求めているのは、

学校も都教委も、僕の命が喪われた事実を、

自分の子どもの命が喪われたことと思い、

真剣に受け止めてほしいことだ。

自分たちの過ちを認めて、

僕の尊い生命が喪われた事実を、

心から悔やみ、悲しみ、僕に謝ってほしいことだ。

 

僕のことを、高校の生徒も教師もみんな忘れて、

僕の出来事をなかったことにして、

何もなかったかのように日常生活を送っている。

 

僕はもっともっと生きていたかった。

僕は彼らに命も未来も奪われた。

彼らが僕の命と未来を奪ったことを、決して忘れない。

彼らが僕と僕の家族の苦しみ悲しみ怒りを忘れても、

僕と僕の家族は、決して決して忘れない。

 

 

僕の命が喪われて6年7ヶ月、裁判の判決は7月にある。

2015年4月に僕が都立小山台高校に入学して、

2015年9月27日に僕の命が喪われて6年7ケ月。

2018年9月に遺族が都を提訴して3年7ヶ月。

2019年1月から2022年4月までに18回の裁判期日があった。

2021年11月に、大田原校長と坂田調査委員長の証人尋問があった。

2021年12月には、担任と養護教諭と小寺都教育委員会職員の証人尋問があった。

2022年1月には遺族の証人尋問があった。

裁判長は再三和解を勧めてきた。

裁判長は遺族に対して『ご遺族が提訴した心情はとてもよく理解できる。提訴した社会的意義がある。提訴した意義を公にするべきだ。』と言ってくれた。

そして和解を勧めてくれて、被告を説得してくれようとした。和解の話し合いは2回したが、しかし被告である都は頑なに決して和解には応じなかった。

2022年4月に最終裁判期日があり、最後に遺族が意見陳述を行った。

そして、2022年7月に裁判の判決がある。

 

長い道のりだったが、提訴したことには意味があった。

裁判をしなかったら、都は、僕に関する書類を隠したままで遺族に見せなかった書類を、決して出してはこなかっただろう。

裁判したことで、5人の証人尋問を行うことができたし、

裁判の審理の中で証拠によって明らかになった事実は以下であることが分かったのだ。

(1)いじめの事実について

 生物班のグループLINEで、息子だけが嫌がる名前をくり返し書き込まれたこと。

週3回も授業がある英語の教師に、嫌がる名前をくり返し呼ばれていたこと。

クラスの男子だけのグループLINEに、息子だけが入っていなかったこと。

調査部会の坂田委員長も証人尋問の中でこれらは「いじめ」であると認めており、校長も証人尋問で、本人が嫌がる名前で呼ばれることは呼ばれた人を傷つける行為であると認めているので、これらは「いじめ」であること。

(2)担任のことについて

担任は証人尋問で、9月7日に母と電話で15分以上も話をしていることを認めている。

息子が、夏休み前にクラスで机を叩いて怒ったことをその場で母に伝えることができたのにしなかった。その日に遅刻して登校したが早退していたことも、担任は母に連絡しなかった。

こうした息子の学校での異変を、担任は知っていたのに、事件の前には母に伝えていなかった。

(3)保健室のこと

養護教諭は証人尋問で、息子が9月だけで保健室に4回も行っていたこと、養護教諭は早退とカウンセラーへの相談まで勧めていたのに、養護教諭は担任にこのことを伝えて、情報共有をしていなかったことを認めている。

(4)校長が公文書である生徒のアンケートを破棄したことは、校長も認めている。

(5)東京都教育委員会の小寺が母へ暴言と暴行をしたことを、小寺本人も認めている。

 

<遺族の願い>

上記の事実を裁判所に明確に認定してほしい。

息子はいつも家族を守りたい、家族に楽をさせてあげたい、人の役に立ちたいと話していた。そんな息子は、決して死にたくはなかったはずだ、息子は訳もなく死ぬはずがない、と思いました。息子はもっと生きていたかったのです。息子は決して死にたくはなかったのです。

遺族はこの6年6ケ月間ずっと、もう話せなくなってしまった息子の代わりに、死にたくなかった息子の無念の思いを言い続けてきました。

遺族の発言する言葉は、息子の言葉・息子の思いなのです。

学校は子どもの命を守るべきなのに、担任も養護教諭も怠りました。息子が生きているときに、学校が息子の異変を伝えてくれていたら、息子は決して死ななかったのです。

学校に責任があるのは明らかです。学校は自分たちの過ちを認めてください。息子が死んだことについて、心から悔やみ、悲しみ、息子に謝ってほしいです。

       

 

ジャーナリストの渋井哲也さんが2月2日に文春オンラインに記事を書いてくれた。以下に記載する。

https://bunshun.jp/articles/-/51753

 

LINEいじめは「言葉遊びだと思う」 自殺した高1生徒めぐり校長が法廷で証言

都立高校男子生徒いじめ自殺訴訟

渋井 哲也    2022/02/02         genre : ニュース社会教育

 

 2015年9月27日、東京都立小山台高校1年の男子生徒Aさん(享年16)が、JR中央本線大月駅山梨県大月市)で自殺した。

 Aさんの遺族が東京都を相手に損害賠償を求めている裁判が、東京地裁(清野正彦裁判長)で進行している。この問題をめぐっては、調査委員会が「いじめは確認できない」との報告書をまとめた。しかし、裁判の過程では、クラスの男子で作るグループLINEから事実上、排除されていたことが新たにわかった。また、Aさんの死後に実施されたアンケートの原本を校長が自ら破棄したことを認めた。

 2022年1月20日、原告や被告側の証人尋問が終わり、清野裁判長は和解協議を持ちかけた。次回は非公開の進行協議で和解を含めて検討するという。

いじめを認めなかった調査委の会見(2017年9月26日) ©渋井哲也

 

「学校が息子のSOSに気が付いたら、自死しなかったのではないか」

 訴状などによると、高校入学後の2015年4月から、Aさんは嫌がる呼び名で同級生から連呼されたり、無視などされていた。同年9月27日、大月駅のホームから飛び降り、電車にはねられ、死亡した。

 訴訟前に行った「個人情報開示請求」では、同年4~5月、Aさんが学校のアンケートに悩みを記載し、スクールカウンセラーの相談を希望していたことが明らかになった。9月には保健室を4回も利用していたことがわかったが、保護者への連絡はなかった。

 今年1月20日の尋問で、Aさんの母親は「(Aさんの死後)スマホTwitter、LINEを調べました。すると、いじめがあったことがわかった。学校が息子のSOSに気が付いたら、自死しなかったのではないか」と話した。母親は、クラウドデータを復活させることができ、部活動のグループLINEで、嫌がる名前を連呼されていたことが判明。その連呼が「テロ行為」と呼ばれていたことも指摘した。

 亡くなった原因について弁護人に聞かれた母親は、次のように証言もした。

「いじめが原因だと思った。嫌がる名前に関しては何度も抗議していることが同級生の証言でわかっています。部活動のグループLINEで、連呼をされたのは息子だけ。部員たちはいじめと認識していたと思います。息子は歌が得意でした。しかし、合唱コンクールの練習で何度も注意されたことで、Twitterに〈自己嫌悪が凄まじい〉とつぶやいていた。水泳大会では、息子は水泳が得意ではないし、泳ぎ方が変と言われていた。Twitterには何度も〈ごめんなさい〉と投稿していました」

 

仲間外れ、名前連呼などグループLINEでもいじめが…

 クラスの男子のみでつくるグループLINEがあった。Aさんも「招待」されていたが、説明をされないとわからない「グループ名」になっていた。知らなければ、いたずらやスパムだと思い、入室しないこともありうる。クラスでグループLINEに入っていなかったのは、Aさんだけ。このことは、死後に作られた調査委の報告書に記載はない。

「このグループが、クラスの男子だけのものとの説明がなければわからない。知らされていないということは、息子だけを排除していたことは明らか」(Aさんの母親)

 Aさんは中2の頃からTwitterをしていた。ゲームのことや楽しいことを中心につぶやいていた。しかし、高校入学後の5月頃から、悩みを投稿するようになったという。学校については「帰りたい」や「休みたい」という表現が続いた。夏休み明けの9月になっても「休みたい」と言っていた。母親は、担任に「学校で変わった様子はないか?」と電話した。しかし、「特に変わった様子はない」と担任は言っていたという。

「夏休み前のホームルームで机を叩き、大声を出していたことがわかっています。他の生徒の発言に怒ったとの証言があります。侮辱的なことを言われたのではないかと思います」(Aさんの母親)

 このときの出来事について、2021年12月10日の尋問で、当時の担任は「机をたたく直前、他の生徒とやりとりする会話は記憶にない。周囲から見ると唐突に見え、みんなが一瞬、止まりました。発言していたことは聞き取れませんでした。彼にとっては珍しい行動」と証言した。その後、Aさんに声をかけた担任は、「できるだけ人がいない状態で、教室で聞き取りをした」というが、調査委の聞き取りでは、そのやりとりを目撃した生徒の証言が載っている。Aさんはイライラした理由について話をしたが、担任は、事実確認をしていなかったという。

 担任は9月に母親から電話で問い合わせがあったことは認めたが、「電話の所要時間は10分から15分。学校での様子を聞かれた記憶はないです。運動会がイヤというのがメインだったと思います。それに、電話が少し遠かったので、何度も聞き返しました」と、母親の証言との食い違いが明らかになった。

 

いじめに対して校長は「嫌がらせではない」「故意ではない」

 2021年11月12日には校長の証言があった。Aさんの死後に実施されたアンケート原本は校長によって破棄された。遺族が個人情報開示請求を求めた際に、「不存在」とされていた。しかし、裁判で、改めて文書の提出のやりとりをしていた際、校長のパソコンに一部が残っていることが明らかになった。自殺後に行われた調査内容の一部に関する写し。都教委の「学校経営支援センター」が教員から聞き取ったもの。A4で60枚。

 そのアンケートを整理した資料について、被告側の弁護人から「どのように作成したものか?」と聞かれ、校長は「全校アンケートの中から、気になる部分をまとめた」とした。つまり、校長の判断で「気になるもの」をまとめた資料だ。しかし、何が“気になるもの”なのかの判断基準は示されず、恣意的なまとめの可能性を払拭する証言はなかった。

「(気になるものは)10点ほどあった。そのアンケートのコピーをとり、気になる箇所にマーカーを引いた。その箇所をまとめたものがその資料です。そして、その回答をした生徒に対して、教員に内容を確認するために聞き取らせた。その内容はコピーにメモをした。メモがない場合は口頭での報告があった。それを受けて一覧表にして打ち込んだもの。アンケート用紙の原本は破棄した」

 校長は、こうも述べ、自らアンケート原本を破棄したことも説明した。

 都教育庁はこれまでに、自殺したAさんに関する情報や教育庁が作成した報告書、調査部会の関連資料などを「公文書」とする文書を遺族に示している。公文書は、重要度によって保存期間が定められている。「都文書管理規則」では、保存期間が「1年未満」「1年」「3年」「5年」「10年」「長期」と区分される。文部科学省が作成した「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」(2017年3月)では、「指導要録の保存期間に合わせて、少なくとも5年間保存することが望ましい」とされている。

 また、授業中に、教員がAさんの呼び名を何度も間違えたことがきっかけで、部活動のLINEグループで、呼ばれたくない名前で連呼されたことに関連し、校長は、呼ばれたくない名前の連呼行為は「日常的な攻撃」や「嫌がらせ」ではない、とした。さらに、間違えた理由については、「故意ではない。以前に勤務していた学校では、間違えた呼び名のように呼ぶ生徒が多かったため」とした。さらに、校長は、こうも答えた。

「(英語の担当教諭が間違えた呼び方をしたときのクラスの反応の聞き取りは)していません。(LINEグループでの、呼ばれたくない名前についての連呼行為を示した画像について)これ自体、初めて見ました。ただ、(LINEでの連呼行為は)言葉遊びだと思う」

 調査委員会の調査では、LINEでの連呼行為について、「(亡くなった)本人が、間違った名前で呼ぶのをやめてほしい」と言っていた、という生徒の証言が記されている。これについて校長は「(この証言の資料を)見るのは初めてです」とした上で、「このことが、亡くなったAさんに、心身の苦痛を与えたかどうかはわからない」と、いじめとの認識はなかった。

 Aさんは9月になって、4回の保健室利用がある。これは遺族の個人情報開示請求でわかった内容だが、校長は「保健室を利用し、医療に関わる可能性がある場合は、利用者カードに記入し、担任か教科担当教員に渡すことになっていたが、当時は、特別な配慮が必要との認識はなかった。9月は行事が立て込んでいて、毎日10人以上の生徒が保健室を利用していた」として、保健室での何かしらのサインには気づけなかった理由を説明。自殺の予見可能性安全配慮義務を事実上、否定する主張の証言となった。

 

都教委の職員による母親への“暴行”も発覚した

 事後対応をめぐっては、Aさんの死後に設置された調査委の事務局で、都教委の職員が、母親に対して“暴行”を働いたことが問題になった。

 2016年8月、担当職員が、調査委の会議後、都庁庁舎内で母親と面談している。向かい合って座っていたが、母親が「親しかった生徒とのトラブルがなかったか調査してほしい」などと話をすると、「調査していることで生徒や保護者から苦情が出ている」などと怒鳴りながら、担当職員が立ち上がり、持っていたファインダーを何度も叩きつけた。このことで母親は「もう調査をしなくていい」と言ったほどだ。

 これについて、この職員も尋問に応じて、「叩きつけたのは3回。できる限り冷静に対応しようとしました。しかし、原告が、ある生徒の名前を挙げて不満を述べていまし

た。私自身、感情的に大きな声を出してしまいました。対応については反省しています。しかし、恫喝はしていない」と証言した。いじめに関する調査の過程で、教委の事務局担当職員のこうした対応が明らかになるのは異例だ。