青い薔薇のブログ

僕は都立小山台高校1年16才で2015年9月27日にいじめが原因で自殺した。死後都で初めての調査委員会が設置され1年8ヶ月もかかった末に不当な調査結果が出された。遺族は再調査を申し入れ10ヶ月後に都知事の再調査が決まったが未だに再調査は進んでいない。2018年9月の命日の3年の時効を前に遺族は苦渋の最後の決断として都を提訴。僕が生きている際の学校の対応の落ち度、僕の死後の学校の不誠実な対応、都教育委員会が遺族を怒鳴り恫喝したり黒塗り書類を見せるなどの理不尽な行為、調査委員会と委員の問題点、遺族は闘っている

今日5月21日は僕の24歳の誕生日

今日5月21日は僕の24歳の誕生日だ。

僕の命が喪われて7年7ヶ月。

 

 君はとても賢くて優しくて誰に対しても思いやりのある心の男の子で将来人の役に立ちたいと言っていた。

君は大学院生になっている。

君は進路を実現して将来の夢に向かっている。

君は人の役に立つ研究をして多くの人を救っている。

はずだった・・・

君の命が喪われたことはほんとうにもったいないことだ。

まさに未来の損失である。

 

僕は16歳で命を喪ってしまった。

僕は悔しい。

僕は悲しい。

僕はもっと生きていたかった。

僕は決して死にたくなかった。

僕は彼らに追い詰められて命を落とした。

僕の人権と名誉は彼らに奪われた。

僕は無念だ。

 

僕と僕の家族が真に求めているのは、

学校も都教委も、僕の命が喪われた事実を、

自分の子どもの命が喪われたことと思い、

真剣に受け止めてほしいことだ!

自分たちの過ちを認めて、

僕の尊い生命が喪われた事実を、

心から悔やみ、悲しみ、僕に謝ってほしいことだ!

 

僕のことを、高校の生徒も教師もみんな忘れて、

僕の出来事をなかったことにして、

何もなかったかのように日常生活を送っている。

 

でも僕のことを思い出してくれ!!

僕を忘れないでくれ!!

 

僕はもっともっと生きていたかった。

僕は彼らに命も未来も奪われた。

彼らが僕の命と未来を奪ったことを、決して忘れない。

彼らが僕と僕の家族の苦しみ悲しみ怒りを忘れても、

僕と僕の家族は、決して決して忘れない。

 

遺族が提訴して4年、昨年7月に判決があり、控訴した。

遺族は今もずっと闘っているのだ。

だから僕のことを思っていてほしい!

僕のことを忘れないでほしい

 

 

 

 




今日5月21日は僕の23歳の誕生日

今日5月21日は僕の23歳の誕生日だ。

僕の命が喪われて6年7ヶ月。

 

 君はとても賢くて優しくて誰に対しても思いやりのある心の男の子で将来人の役に立ちたいと言っていた。

君は大学院生になっている。

君は進路を実現して将来の夢に向かっている。

君は人の役に立つ研究をして多くの人を救っている。

はずだった・・・

君の命が喪われたことはほんとうにもったいないことだ。

まさに未来の損失である。

 

僕は16歳で命を喪ってしまった。

僕は悔しい。

僕は悲しい。

僕はもっと生きていたかった。

僕は決して死にたくなかった。

僕は彼らに追い詰められて命を落とした。

僕の人権と名誉は彼らに奪われた。

僕は無念だ。

 

僕と僕の家族が真に求めているのは、

学校も都教委も、僕の命が喪われた事実を、

自分の子どもの命が喪われたことと思い、

真剣に受け止めてほしいことだ。

自分たちの過ちを認めて、

僕の尊い生命が喪われた事実を、

心から悔やみ、悲しみ、僕に謝ってほしいことだ。

 

僕のことを、高校の生徒も教師もみんな忘れて、

僕の出来事をなかったことにして、

何もなかったかのように日常生活を送っている。

 

僕はもっともっと生きていたかった。

僕は彼らに命も未来も奪われた。

彼らが僕の命と未来を奪ったことを、決して忘れない。

彼らが僕と僕の家族の苦しみ悲しみ怒りを忘れても、

僕と僕の家族は、決して決して忘れない。

 

 

僕の命が喪われて6年7ヶ月、裁判の判決は7月にある。

2015年4月に僕が都立小山台高校に入学して、

2015年9月27日に僕の命が喪われて6年7ケ月。

2018年9月に遺族が都を提訴して3年7ヶ月。

2019年1月から2022年4月までに18回の裁判期日があった。

2021年11月に、大田原校長と坂田調査委員長の証人尋問があった。

2021年12月には、担任と養護教諭と小寺都教育委員会職員の証人尋問があった。

2022年1月には遺族の証人尋問があった。

裁判長は再三和解を勧めてきた。

裁判長は遺族に対して『ご遺族が提訴した心情はとてもよく理解できる。提訴した社会的意義がある。提訴した意義を公にするべきだ。』と言ってくれた。

そして和解を勧めてくれて、被告を説得してくれようとした。和解の話し合いは2回したが、しかし被告である都は頑なに決して和解には応じなかった。

2022年4月に最終裁判期日があり、最後に遺族が意見陳述を行った。

そして、2022年7月に裁判の判決がある。

 

長い道のりだったが、提訴したことには意味があった。

裁判をしなかったら、都は、僕に関する書類を隠したままで遺族に見せなかった書類を、決して出してはこなかっただろう。

裁判したことで、5人の証人尋問を行うことができたし、

裁判の審理の中で証拠によって明らかになった事実は以下であることが分かったのだ。

(1)いじめの事実について

 生物班のグループLINEで、息子だけが嫌がる名前をくり返し書き込まれたこと。

週3回も授業がある英語の教師に、嫌がる名前をくり返し呼ばれていたこと。

クラスの男子だけのグループLINEに、息子だけが入っていなかったこと。

調査部会の坂田委員長も証人尋問の中でこれらは「いじめ」であると認めており、校長も証人尋問で、本人が嫌がる名前で呼ばれることは呼ばれた人を傷つける行為であると認めているので、これらは「いじめ」であること。

(2)担任のことについて

担任は証人尋問で、9月7日に母と電話で15分以上も話をしていることを認めている。

息子が、夏休み前にクラスで机を叩いて怒ったことをその場で母に伝えることができたのにしなかった。その日に遅刻して登校したが早退していたことも、担任は母に連絡しなかった。

こうした息子の学校での異変を、担任は知っていたのに、事件の前には母に伝えていなかった。

(3)保健室のこと

養護教諭は証人尋問で、息子が9月だけで保健室に4回も行っていたこと、養護教諭は早退とカウンセラーへの相談まで勧めていたのに、養護教諭は担任にこのことを伝えて、情報共有をしていなかったことを認めている。

(4)校長が公文書である生徒のアンケートを破棄したことは、校長も認めている。

(5)東京都教育委員会の小寺が母へ暴言と暴行をしたことを、小寺本人も認めている。

 

<遺族の願い>

上記の事実を裁判所に明確に認定してほしい。

息子はいつも家族を守りたい、家族に楽をさせてあげたい、人の役に立ちたいと話していた。そんな息子は、決して死にたくはなかったはずだ、息子は訳もなく死ぬはずがない、と思いました。息子はもっと生きていたかったのです。息子は決して死にたくはなかったのです。

遺族はこの6年6ケ月間ずっと、もう話せなくなってしまった息子の代わりに、死にたくなかった息子の無念の思いを言い続けてきました。

遺族の発言する言葉は、息子の言葉・息子の思いなのです。

学校は子どもの命を守るべきなのに、担任も養護教諭も怠りました。息子が生きているときに、学校が息子の異変を伝えてくれていたら、息子は決して死ななかったのです。

学校に責任があるのは明らかです。学校は自分たちの過ちを認めてください。息子が死んだことについて、心から悔やみ、悲しみ、息子に謝ってほしいです。

       

 

ジャーナリストの渋井哲也さんが2月2日に文春オンラインに記事を書いてくれた。以下に記載する。

https://bunshun.jp/articles/-/51753

 

LINEいじめは「言葉遊びだと思う」 自殺した高1生徒めぐり校長が法廷で証言

都立高校男子生徒いじめ自殺訴訟

渋井 哲也    2022/02/02         genre : ニュース社会教育

 

 2015年9月27日、東京都立小山台高校1年の男子生徒Aさん(享年16)が、JR中央本線大月駅山梨県大月市)で自殺した。

 Aさんの遺族が東京都を相手に損害賠償を求めている裁判が、東京地裁(清野正彦裁判長)で進行している。この問題をめぐっては、調査委員会が「いじめは確認できない」との報告書をまとめた。しかし、裁判の過程では、クラスの男子で作るグループLINEから事実上、排除されていたことが新たにわかった。また、Aさんの死後に実施されたアンケートの原本を校長が自ら破棄したことを認めた。

 2022年1月20日、原告や被告側の証人尋問が終わり、清野裁判長は和解協議を持ちかけた。次回は非公開の進行協議で和解を含めて検討するという。

いじめを認めなかった調査委の会見(2017年9月26日) ©渋井哲也

 

「学校が息子のSOSに気が付いたら、自死しなかったのではないか」

 訴状などによると、高校入学後の2015年4月から、Aさんは嫌がる呼び名で同級生から連呼されたり、無視などされていた。同年9月27日、大月駅のホームから飛び降り、電車にはねられ、死亡した。

 訴訟前に行った「個人情報開示請求」では、同年4~5月、Aさんが学校のアンケートに悩みを記載し、スクールカウンセラーの相談を希望していたことが明らかになった。9月には保健室を4回も利用していたことがわかったが、保護者への連絡はなかった。

 今年1月20日の尋問で、Aさんの母親は「(Aさんの死後)スマホTwitter、LINEを調べました。すると、いじめがあったことがわかった。学校が息子のSOSに気が付いたら、自死しなかったのではないか」と話した。母親は、クラウドデータを復活させることができ、部活動のグループLINEで、嫌がる名前を連呼されていたことが判明。その連呼が「テロ行為」と呼ばれていたことも指摘した。

 亡くなった原因について弁護人に聞かれた母親は、次のように証言もした。

「いじめが原因だと思った。嫌がる名前に関しては何度も抗議していることが同級生の証言でわかっています。部活動のグループLINEで、連呼をされたのは息子だけ。部員たちはいじめと認識していたと思います。息子は歌が得意でした。しかし、合唱コンクールの練習で何度も注意されたことで、Twitterに〈自己嫌悪が凄まじい〉とつぶやいていた。水泳大会では、息子は水泳が得意ではないし、泳ぎ方が変と言われていた。Twitterには何度も〈ごめんなさい〉と投稿していました」

 

仲間外れ、名前連呼などグループLINEでもいじめが…

 クラスの男子のみでつくるグループLINEがあった。Aさんも「招待」されていたが、説明をされないとわからない「グループ名」になっていた。知らなければ、いたずらやスパムだと思い、入室しないこともありうる。クラスでグループLINEに入っていなかったのは、Aさんだけ。このことは、死後に作られた調査委の報告書に記載はない。

「このグループが、クラスの男子だけのものとの説明がなければわからない。知らされていないということは、息子だけを排除していたことは明らか」(Aさんの母親)

 Aさんは中2の頃からTwitterをしていた。ゲームのことや楽しいことを中心につぶやいていた。しかし、高校入学後の5月頃から、悩みを投稿するようになったという。学校については「帰りたい」や「休みたい」という表現が続いた。夏休み明けの9月になっても「休みたい」と言っていた。母親は、担任に「学校で変わった様子はないか?」と電話した。しかし、「特に変わった様子はない」と担任は言っていたという。

「夏休み前のホームルームで机を叩き、大声を出していたことがわかっています。他の生徒の発言に怒ったとの証言があります。侮辱的なことを言われたのではないかと思います」(Aさんの母親)

 このときの出来事について、2021年12月10日の尋問で、当時の担任は「机をたたく直前、他の生徒とやりとりする会話は記憶にない。周囲から見ると唐突に見え、みんなが一瞬、止まりました。発言していたことは聞き取れませんでした。彼にとっては珍しい行動」と証言した。その後、Aさんに声をかけた担任は、「できるだけ人がいない状態で、教室で聞き取りをした」というが、調査委の聞き取りでは、そのやりとりを目撃した生徒の証言が載っている。Aさんはイライラした理由について話をしたが、担任は、事実確認をしていなかったという。

 担任は9月に母親から電話で問い合わせがあったことは認めたが、「電話の所要時間は10分から15分。学校での様子を聞かれた記憶はないです。運動会がイヤというのがメインだったと思います。それに、電話が少し遠かったので、何度も聞き返しました」と、母親の証言との食い違いが明らかになった。

 

いじめに対して校長は「嫌がらせではない」「故意ではない」

 2021年11月12日には校長の証言があった。Aさんの死後に実施されたアンケート原本は校長によって破棄された。遺族が個人情報開示請求を求めた際に、「不存在」とされていた。しかし、裁判で、改めて文書の提出のやりとりをしていた際、校長のパソコンに一部が残っていることが明らかになった。自殺後に行われた調査内容の一部に関する写し。都教委の「学校経営支援センター」が教員から聞き取ったもの。A4で60枚。

 そのアンケートを整理した資料について、被告側の弁護人から「どのように作成したものか?」と聞かれ、校長は「全校アンケートの中から、気になる部分をまとめた」とした。つまり、校長の判断で「気になるもの」をまとめた資料だ。しかし、何が“気になるもの”なのかの判断基準は示されず、恣意的なまとめの可能性を払拭する証言はなかった。

「(気になるものは)10点ほどあった。そのアンケートのコピーをとり、気になる箇所にマーカーを引いた。その箇所をまとめたものがその資料です。そして、その回答をした生徒に対して、教員に内容を確認するために聞き取らせた。その内容はコピーにメモをした。メモがない場合は口頭での報告があった。それを受けて一覧表にして打ち込んだもの。アンケート用紙の原本は破棄した」

 校長は、こうも述べ、自らアンケート原本を破棄したことも説明した。

 都教育庁はこれまでに、自殺したAさんに関する情報や教育庁が作成した報告書、調査部会の関連資料などを「公文書」とする文書を遺族に示している。公文書は、重要度によって保存期間が定められている。「都文書管理規則」では、保存期間が「1年未満」「1年」「3年」「5年」「10年」「長期」と区分される。文部科学省が作成した「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」(2017年3月)では、「指導要録の保存期間に合わせて、少なくとも5年間保存することが望ましい」とされている。

 また、授業中に、教員がAさんの呼び名を何度も間違えたことがきっかけで、部活動のLINEグループで、呼ばれたくない名前で連呼されたことに関連し、校長は、呼ばれたくない名前の連呼行為は「日常的な攻撃」や「嫌がらせ」ではない、とした。さらに、間違えた理由については、「故意ではない。以前に勤務していた学校では、間違えた呼び名のように呼ぶ生徒が多かったため」とした。さらに、校長は、こうも答えた。

「(英語の担当教諭が間違えた呼び方をしたときのクラスの反応の聞き取りは)していません。(LINEグループでの、呼ばれたくない名前についての連呼行為を示した画像について)これ自体、初めて見ました。ただ、(LINEでの連呼行為は)言葉遊びだと思う」

 調査委員会の調査では、LINEでの連呼行為について、「(亡くなった)本人が、間違った名前で呼ぶのをやめてほしい」と言っていた、という生徒の証言が記されている。これについて校長は「(この証言の資料を)見るのは初めてです」とした上で、「このことが、亡くなったAさんに、心身の苦痛を与えたかどうかはわからない」と、いじめとの認識はなかった。

 Aさんは9月になって、4回の保健室利用がある。これは遺族の個人情報開示請求でわかった内容だが、校長は「保健室を利用し、医療に関わる可能性がある場合は、利用者カードに記入し、担任か教科担当教員に渡すことになっていたが、当時は、特別な配慮が必要との認識はなかった。9月は行事が立て込んでいて、毎日10人以上の生徒が保健室を利用していた」として、保健室での何かしらのサインには気づけなかった理由を説明。自殺の予見可能性安全配慮義務を事実上、否定する主張の証言となった。

 

都教委の職員による母親への“暴行”も発覚した

 事後対応をめぐっては、Aさんの死後に設置された調査委の事務局で、都教委の職員が、母親に対して“暴行”を働いたことが問題になった。

 2016年8月、担当職員が、調査委の会議後、都庁庁舎内で母親と面談している。向かい合って座っていたが、母親が「親しかった生徒とのトラブルがなかったか調査してほしい」などと話をすると、「調査していることで生徒や保護者から苦情が出ている」などと怒鳴りながら、担当職員が立ち上がり、持っていたファインダーを何度も叩きつけた。このことで母親は「もう調査をしなくていい」と言ったほどだ。

 これについて、この職員も尋問に応じて、「叩きつけたのは3回。できる限り冷静に対応しようとしました。しかし、原告が、ある生徒の名前を挙げて不満を述べていまし

た。私自身、感情的に大きな声を出してしまいました。対応については反省しています。しかし、恫喝はしていない」と証言した。いじめに関する調査の過程で、教委の事務局担当職員のこうした対応が明らかになるのは異例だ。

 

 

今日5月21日は僕の22歳の誕生日

今日5月21日は僕の22歳の誕生日だ。

僕の命が喪われて5年8ヶ月。

 

 君はとても賢くて優しくて誰に対しても思いやりのある心の男の子で将来人の役に立ちたいと言っていた。

君は大学4年になっている。

君は進路を実現して将来の夢に向かっている。

君は人の役に立つ研究をして多くの人を救っている。

はずだった・・・

君の命が喪われたことはほんとうにもったいないことだ。

まさに未来の損失である。

 

僕は16歳で命を喪ってしまった。

僕は悔しい。

僕は悲しい。

僕はもっと生きていたかった。

僕は決して死にたくなかった。

僕は彼らに追い詰められて命を落とした。

僕の人権と名誉は彼らに奪われた。

僕は無念だ。

 

僕と僕の家族が真に求めているのは、

学校も都教委も、僕の命が喪われた事実を、

自分の子どもの命が喪われたことと思い、

真剣に受け止めてほしいことだ。

過ちを認めて、僕の尊い生命が喪われた事実を、

心から悔やみ、悲しみ、僕に謝ってほしいことだ。

 

僕のことを、高校の生徒も教師もみんな忘れて、なかったことにして、何もなかったかのように日常生活を送っている。

僕はもっともっと生きていたかった。

僕は彼らに命も未来も奪われた。

彼らが僕の命と未来を奪ったことを、決して忘れない。

彼らが僕と僕の家族の苦しみ悲しみ怒りを忘れても、

僕と僕の家族は、決して決して忘れない。

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青い薔薇22本の花言葉・・・ふたりで歩いていこう

aoibara0927.hatenablog.com

学校も都教委も僕の尊い命が喪われた事実を真剣に受け止めてほしい!真に求めること!渋井哲也氏の文春オンラインの記事

僕の命が喪われてもうすぐ5年4ヶ月が経つ。

僕の家族が提訴してもうすぐ2年4ヶ月になり、この間8回裁判が行われた。

2019年1月に第1回裁判があり、4月、8月、12月とあった。

2020年の裁判は、3月、7月、10月、12月にあった。

僕の死後に家族が僕に関する書類をすべて開示してほしいと学校と都教委に言い続けてきたが、学校も都教委もまったく真摯に対応して来なかった。

家族は、何度も何度も都教委に開示するよう求め交渉してきた。

家族は、署名を集め、都議会議員や国会議員にも会いに行き都教委へ指導してもらい、文科省でも記者会見をして文科省から都教委へ出すよう指導してもらったが、都教委はすべてを無視してきた。

 

提訴した第1の理由は僕に関する書類を家族に見せてほしいということである。

提訴してから都が僕に関する書類を破棄改ざんしていた事実が発覚した2020年5月末に、僕に関する書類を、初めて大量に出してきた。僕に関する書類は、まだまだ出してきていないものもあるので、家族は引き続き提出するよう求めている。

提訴しなかったら、都教委は僕に関する書類を、決して出してこなかっただろう。提訴して2年近くかかり、やっと僕に関する書類が一部分だが出された。

僕の命が喪われて5年もかかってしまったが・・・

 

提訴したほかの理由は、学校でのいじめと、学校はそれを知っていたのに何もせず放置して僕の命が喪われてしまったことの学校の対応の落ち度、さらに僕の死後の学校と東京都教育委員会(都教委)の不適切で不誠実な対応及び家族への恫喝暴言に対しての損害賠償を求めている。

僕の死後行われた調査委員会の報告書では『学校の対応の落ち度』を指摘しているが、その後も、学校も都教委は自分たちの落ち度を一度も認めず、僕の家族に説明も謝罪も一切行っていない。

組織も人間も、己の過ちを認めたがらないが、

毎日学校へ通っていて夢と希望を持っていた僕の尊い生命が喪われたのは事実である!

自分の子どもが死んでしまったらどう思うか?

1人の生徒の命が喪われたことを自分の子どもが死んだ事と同じと思って考えるべきである!

学校も都教委も、僕の命が喪われた事実を、自分の子どもの命が喪われたことと思い、真剣に受け止めてほしい!

 

裁判で、学校や都教委が過ちを認めることも重要だが、

家族が真に求めているのは、学校と都教委が、僕の尊い生命が喪われた事実を、心から悔やみ、悲しみ、僕に謝ってほしいことなのである!

 

次回裁判は3月にある。

毎回、僕と僕の家族を応援してくれているたくさんの人たちが傍聴応援に来てくれている。僕の事件を何年経っても忘れずに、たくさんの人が応援してくれている。

たくさんの傍聴応援があるから、世の中の人が、僕のことを忘れていない、関心があり真実を明らかにしてほしいと願っていることを、裁判所にも知ってもらえるのだ。裁判所は、公正な判断をして、真実を明らかにして、僕の人権と名誉を回復してもらいたい。

これからも、僕と僕の家族への応援をよろしくお願いします。

 

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渋井哲也氏文春オンライン記事>

https://bunshun.jp/articles/-/42538

ジャーナリストの渋井哲也氏が文春オンラインに記事を書いてくれたので掲載する。

 

 

男子高校生いじめ自殺、東京都が検証しなかった「LINEいじめ」も明らかに

それでも都側は「いじめ」の事実を認めず

渋井 哲也

2020/12/25

 

「クラスでいじられキャラのような感じが少しありました」

「男子にちょっかいを出されて本人は嫌がっていた」

 2015年9月に、都立小山台高校の男子生徒Aさん(享年16)が自殺した件について、学校設置者の東京都に対して損害賠償を求めている東京地裁(清野正彦裁判長)の口頭弁論で、これまで「不存在」として公開されてこなかった資料の中に、冒頭のようなアンケートの回答があり、かつAさんに対するLINEいじめの疑いが明るみに出た。2020年12月18日、原告側は準備書面を提出し、この点を指摘した。

都教委では2017年9月、「いじめ問題対策委員会」の報告書を提出していた。しかし、このLINEいじめの可能性については報告書で触れられておらず、調査や分析が十分でなかった可能性が出てきた。

初めて分かった男子全員が参加するグループLINEの存在

 訴状などによると、2015年4月、Aさんは高校入学後から嫌がる呼び名で同級生から連呼されたり、無視をされるなどしていた。同年9月27日、JR中央線大月駅山梨県大月市)のホームから飛び降り、電車にはねられて死亡した。情報開示請求で開示された資料によると、自殺前の4~5月、Aさんは学校のアンケートに悩みを記載し、スクールカウンセラーの相談を希望していたこともわかっている。自殺する9月には、保健室を4回利用しているが、保護者には連絡はなかった。

 遺族側が新たに提出した準備書面によると、亡くなったAさんが所属するクラスの男子のみで作っているグループLINEがあったことが初めてわかった。このグループには、Aさんを除く、男子の全員が入っていた。Aさんも招待はされていた。しかし、グループ名が「彼氏募集」となっており、出会い系の宣伝のようなグループ名になっていた。つまり、事前に知らされていなければ、そのグループに参加することを躊躇させてしまうもので、Aさんを排除する「仲間外れ」のいじめ行為だと遺族側は主張している。

 都教育委員会の「いじめ問題対策委員会」作成の報告書(2017年9月14日)では、部活動全体のグループLINE内のやりとりや特定の生徒との1対1のLINEのやりとりは検討されている。しかし、クラスの男子のみのグループLINEについての言及は一言もない。

“あだ名の連呼”がいじめの可能性として検討されたが……

「調査委員会の聞き取りで出てきたもの。LINEいじめの可能性があり、かなり重大なもののはず。調査委の会議は非公開のため、会議で話題になっていたのかはわからないが、報告書を見る限りでは、この点を検討した形跡はない」(弁護団

 こうしたクラスでの位置付けが影響をしたのか、運動会の際にも孤立しているような様子について、「応援合戦をするときに、生徒Aだけ、応援席のところに一人で残っていて、どうして残っているのかなと思ったのですけど、結局、参加せずに一人で応援席にいました」との声も、アンケートで寄せられた。

 一方、部活動全体のグループLINEについては、Aさんのあだ名が連呼されていたことが、いじめの可能性として検討されている。報告書では、「何らかの意味での評価を含んだ言葉など」は一切付されていないこと、また連呼行為は複数の生徒によって10回されているが、所要時間は4~5分程度であったこと、証拠上確認できるのは、特定の日1回だけだったことなどから、「一種の言葉遊び的な行為」であり、「攻撃的又は不定的な意図を持って行われた行為と判断することは困難」として、いじめ行為を否定している。

「いなかっ……」聞き取り対象の生徒が言葉を止めたことの意味

 しかし、この連呼行為について、これまでの裁判で東京都が原告側に提出した資料の中で見つかった生徒への聞き取りの中で、こうした連呼について、「他の人で名前をもじって言われていた人はいますか?」との問いがなされていた。聞き取りの対象になった生徒は「いなかっ……。すいません、結構ずっとやってたので憶えていません」と答えた部分がある。聞き取りをした担当者はそれ以上、突っ込んで聞いていない。準備書面では「むしろ途中で言葉を止めたのは『悪い行為』『嫌がらせ行為』『本人が嫌がっている行為』であるという認識があったという証左」とした。

 この嫌がるあだ名の連呼は、生徒だけでなく、教員からもなされていた。授業中に、Aさんを呼ぶときには、毎回、そのあだ名で呼ばれていた。Aさんが自殺した年のアンケートでも、「先生に間違った読み方で呼ばれていた(複数回)」と記されていた。しかも、教員への聞き取りの際にも、嫌がるあだ名で呼んでおり、教員は校長から注意されていた。

調査委の結論「これをいじめと捉えることは広範に過ぎる」

 遺族が、Aさんに関する個人情報開示請求を求めた際に、「不存在」とされていた資料の一部として、教員の聞き取り記録の写しが見つかっている。東京都が裁判の中で提出しているのは、Aさんが自殺した後に行われた調査内容の一部に関する写し。都教委の「学校経営支援センター」が教員から聞き取ったもの。A4用紙で60枚になる。遺族によると、それまで開示されたものは、教員の聞き取り箇所の分量はA4で3枚だけ。それもすべてが黒塗りだった。

 

 この調査委員会では「いじめ防止対策推進法」のいじめの定義について、以下のように独自の解釈を示した上で、いじめの有無を判断していた。

「いじめ防止対策推進法上のいじめの定義は、現状において、極めて広範なものとなっていると考えられる。関係性が存在する以上、今回、当該生徒が、同じクラスの生徒や同じ部活動の生徒の言動から、心理的影響を受けていたことは事実である。その結果、当該生徒が、不快感や寂しさを感じたことがあったであろうことは否定しない。だが、いじめ問題に対する指導を行うに際して、学校、教職員が、その端緒として活用する定義としては有用であるとしても、少なくとも、いじめ防止対策推進法に基づき重大事態の調査が行われるに当たってこれをいじめと捉えることは広範に過ぎるのではないかというのが、調査委員会の結論であった」

教訓のもとに変更されてきた「いじめの定義」を踏まえるべき

 法律上の「いじめ」の定義は、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係にある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」だ。たしかに、定義は広すぎるという意見があることも事実だ。しかし、調査委はその法律のもとで設置されている。ならば、法に従って判断すべきである。

 文科省は1986年以降、いじめを定義した上で調査を行なってきた。そして、いじめ自殺がクローズアップされるたびに、学校現場でいじめを見逃さないように、定義が変更されてきた。児童生徒が命を落としてきた教訓のもとに、現在のいじめの定義がされている。いじめ防止対策推進法ができたのは、2011年10月の滋賀県大津市のいじめ自殺が起きた後でもある。それを踏まえれば、むしろ「広範に過ぎる」との見方は妥当ではないはずだ。

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9月27日で僕の命が喪われて5年が経つ

2020年9月27日で、僕の命が喪われて5年が経つ。

 

僕の命が喪われた後に、東京都で初のいじめ調査委員会が設立され約2年もかかったが、全く僕と家族に寄り添った内容ではなかったが、その調査委員会は都知事による再調査が決まっている。

 

そして、僕の命が喪われて3年経つ前の、2018年9月に僕の家族が提訴した。

提訴した理由は、学校でのいじめと、学校はそれを知っていたのに何もせず放置して僕の命が喪われてしまったことの学校の対応の落ち度、さらに僕の死後の学校と東京都教育委員会(都教委)の不適切で不誠実な対応及び家族への恫喝暴言に対しての損害賠償を求めている。

 

それらと共に、僕の死後に家族が僕に関する書類をすべて開示してほしいと学校と都教委に言い続けてきたが、学校も都教委もまったく真摯に対応して来なかった。家族は、何度も何度も都教委に開示するよう求め交渉してきた。家族は、署名を集め、都議会議員や国会議員にも会いに行き都教委へ指導してもらい、文科省でも記者会見をして文科省から都教委へ出すよう指導してもらったが、都教委はすべてを無視してきた。

僕に関する書類を家族に見せてほしいということも提訴した第1の理由である。

 

家族が提訴してから2年が経った。

2019年1月に第1回裁判があり、4月、8月、12月とあった。

裁判が始まって以来、僕に関する書類を、僕の家族が出してほしいと求めていたが、被告は、個人情報を理由に頑なに一切の書類提出を拒んできた。

 

しかし、2020年2月に、都教委が、僕に関する書類を破棄改ざんしていた事実が発覚して、3月に報道され弁護士も記者会見をした。

そのせいか???

2020年5月末に、僕に関する書類を、初めて大量に出してきた。

僕に関する書類は、まだまだ出してきていないものもあるので、家族は引き続き提出するよう求めている。

でも、提訴しなかったら、都教委は僕に関する書類を、決して出してこなかっただろう。

提訴して2年近くかかり、やっと僕に関する書類が一部分だが出された。

僕の命が喪われて5年もかかってしまったが・・・

 

2020年の裁判は、3月、7月、10月にあった。

次回裁判は12月にある。

 

毎回、僕と僕の家族を応援してくれているたくさんの人たちが傍聴応援に来てくれている。僕の事件を何年経っても忘れずに、たくさんの人が応援してくれている。

たくさんの傍聴応援があるから、世の中の人が、僕のことを忘れていない、関心があり真実を明らかにしてほしいと願っていることを、裁判所にも知ってもらえるのだ。裁判所は、公正な判断をして、真実を明らかにして、僕の人権と名誉を回復してもらいたい。

これからも、僕と僕の家族への応援をよろしくお願いします。

 

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今日5月21日は僕の21歳の誕生日

今日5月21日は僕の21歳の誕生日だ。

僕の命が喪われて4年8ヶ月。

僕は大学3年になっているはずだった。

僕は進路を実現して将来の夢に向かっていたはずだった。

僕は人の役に立つ研究をして多くの人を救っていたはずだった。

僕は奇跡の子どもだったのに16歳で命を喪ってしまった。

僕は悔しい。

僕は悲しい。

僕はもっと生きていたかった。

僕は決して死にたくなかった。

僕は彼らに追い詰められて命を落とした。

僕の人権と名誉は彼らに奪われた。

僕は無念だ。

僕のことを、高校の生徒も教師もみんな忘れて、なかったことにして、何もなかったかのように日常生活を送っている。

僕はもっともっと生きていたかった。

僕は彼らに命も未来も奪われた。

彼らが僕の命と未来を奪ったことを、決して忘れない。

彼らが僕と僕の家族の苦しみ悲しみ怒りを忘れても、

僕と僕の家族は、決して決して忘れない。


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