青い薔薇のブログ

僕は都立小山台高校1年16才で2015年9月27日にいじめが原因で自殺した。死後都で初めての調査委員会が設置され1年8ヶ月もかかった末に不当な調査結果が出された。遺族は再調査を申し入れ10ヶ月後に都知事の再調査が決まったが未だに再調査は進んでいない。2018年9月の命日の3年の時効を前に遺族は苦渋の最後の決断として都を提訴。僕が生きている際の学校の対応の落ち度、僕の死後の学校の不誠実な対応、都教育委員会が遺族を怒鳴り恫喝したり黒塗り書類を見せるなどの理不尽な行為、調査委員会と委員の問題点、遺族は闘っている

僕の命が喪われて9月27日で3年。最後の苦渋の決断。

僕の命が喪われて9月27日で3年。
同級生も加害生徒も卒業して大学生になって僕のことは忘れているだろう。
学校の担任(3年まで担任を続け今年4月に別の都立校に異動)も校長(校長だけはまだ異動していない)も当時の副校長(事件の1年半後に別の都立校に異動)も都教委からも、3年の命日を前にしても遺族への連絡は一切ない。
学校では僕の命が喪われたことは追悼もされず、在校生に説明もなく、学校のいじめが原因で自殺したことも、なかったことにされている。
僕の家族はずっと学校で何があったか教えてほしい、学校や教育委員会や調査委員会で調査した、基礎資料書類の開示をしてほしいと要望交渉を続けてきた。しかし、3年も経つのに学校も都教委も誠実に遺族に向き合うことをせず、昨年9月に調査報告書が出ても開示を一切していないし、「学校対応の不備があった」ことも説明回答謝罪も一切していない。
僕の命が喪われて3年経つのに一歩も進んでいないことに愕然とする。3年の命日を前にして、学校でなかったことにされている僕の人権と名誉を回復するために、僕の家族は最後の苦渋の決断をした。
僕はもっと生きていたかった、決して死にたくなかった、生きて自分の進路夢を実現したかった。僕は追い詰められて命と未来を奪われた。僕は毎日学校に通って土日も部活に行っていて、学校での悩みをSOSを担任に発信していた。それなのに、その僕の命が喪われたのに、学校が100%責任がないなどと言うことはあり得ない。