青い薔薇のブログ

僕は都立小山台高校1年16才で2015年9月27日にいじめが原因で自殺した。死後都で初めての調査委員会が設置され1年8ヶ月もかかった末に不当な調査結果が出された。遺族は再調査を申し入れ10ヶ月後に都知事の再調査が決まったが未だに再調査は進んでいない。2018年9月の命日の3年の時効を前に遺族は苦渋の最後の決断として都を提訴。僕が生きている際の学校の対応の落ち度、僕の死後の学校の不誠実な対応、都教育委員会が遺族を怒鳴り恫喝したり黒塗り書類を見せるなどの理不尽な行為、調査委員会と委員の問題点、遺族は闘っている

いじめという名の殺人

先日「アンナチュラル」というドラマでいじめ自殺について放送していた。
法医学者が、高校生男子の死因について
『法医学的見解では自殺、しかし個人的見解としては殺された、いじめという名の殺人、犯罪だ』と言っていた。

まさにいじめによる自殺は、
自分で死にたくて死んだわけでなく、追い詰められて殺されたのである。

いじめをした人たちは、いじめたことをたいしたことと思っていない。いじめられた人の痛みや苦しみをまったく感じてない。
いじめられた人が死んでも、自分たちのしたことを忘れて行く。
いじめられた人が死んでも、日常生活を送って行く。
大学に行き、就職して、家庭を持ち、子どもができる。
同じ未来があったはずの高校生がいたのに、その子は未来も命も奪われ、死んだ子は忘れ去られて行く。
学校は『君たちのせいではないよ』『早く忘れなさい』『1日も早く日常生活に戻れるようにしなさい』そういじめた生徒にも傍観者だった生徒にも言うのだ。
そうして未成年者はいじめという殺人、犯罪をしても、学校組織大人に守られて行くのだ。

いじめという言葉はなまぬるい。
いじめは犯罪、人が死んだら殺人だ。未成年者だからと言って、許されていいわけがない。

いじめをした君たちへ、
君たちは、自分のした行為を忘れ、命を落とした僕のことを忘れ、大学に行き、就職して、家庭を持ち、子どもができて、なにもなかったかのように日常生活を送っていくだろう。
しかし、僕と僕の家族は決して君たちのしたことを忘れない。
君たちのせいで、僕の命と未来が喪われたことを決して忘れない。